10月1日はコーヒーの日ですが、その前日に長年通った
喫茶店が閉店しました。
かれこれ30年ほど営業していたお店で、私も学生の頃から
入り浸っていた「拠点」のようなところでしたから、とても
淋しく残念です。
喫茶店といえば、昨今はもっぱらカフェという業態が一般的
となりましたが、そのカフェのはしりだったお店といって
いいでしょう。
気候のいいシーズンの晴れた日には、ガラス張りのテラスを
開放して、通りを歩く人々を眺めながらコーヒーを飲んだ
ものです。
カネはないがヒマはある(今は両方無くなってますが、苦笑)
学生の頃は、朝10時から夜10時までコーヒー一杯で、
本や雑誌を読んだり、となりにやって来たほかのお客さんと
しゃべったり、書き物をしたりと、今では経験できない時間を
過ごしたことが、私の一部となっていることは、間違いあり
ません。
ここのカウンターで思い考えたことが、大学院の講義内容に
なっていますし、原稿の一部となって書籍となっていることで
遺産が引き継がれると願わずにはいられません。
マスターには、長年お疲れさまでしたとお伝えしたいですね。
感謝!
喫茶店が閉店しました。
かれこれ30年ほど営業していたお店で、私も学生の頃から
入り浸っていた「拠点」のようなところでしたから、とても
淋しく残念です。
喫茶店といえば、昨今はもっぱらカフェという業態が一般的
となりましたが、そのカフェのはしりだったお店といって
いいでしょう。
気候のいいシーズンの晴れた日には、ガラス張りのテラスを
開放して、通りを歩く人々を眺めながらコーヒーを飲んだ
ものです。
カネはないがヒマはある(今は両方無くなってますが、苦笑)
学生の頃は、朝10時から夜10時までコーヒー一杯で、
本や雑誌を読んだり、となりにやって来たほかのお客さんと
しゃべったり、書き物をしたりと、今では経験できない時間を
過ごしたことが、私の一部となっていることは、間違いあり
ません。
ここのカウンターで思い考えたことが、大学院の講義内容に
なっていますし、原稿の一部となって書籍となっていることで
遺産が引き継がれると願わずにはいられません。
マスターには、長年お疲れさまでしたとお伝えしたいですね。
感謝!