そろそろ結論が求められるのではないかと思う。
つまるところ、自分にとってTHESISとはなんなのか、だ。

結論を急ぐまえに、ちょっと分かりやすい例を考えてみた
い。

ランチアのフラッグシップというのは、いつの頃からか、
自動車評論家の方々から「イタリアのクラウン」と表され
るようになった。「イタリアのクラウン。」なるほど。

では、ランチアトヨタか?少し違うような気がする。

それは、ランチアはブランドであって、マニュファクチャ
ラーはフィアットだからである。トヨタでいうレクサス
相当する。ならば、ランチアはレクサスか?

これも違和感がある。なぜならば、レクサスは明らかに
北米の方向を向いているからだ。

つまり、フォーカスがズレているのである。テーマ
テージスクラウンに相当するのだろう。

ならば、単体の意義で比較しないとはっきりした姿は見え
てこない。マニュファクチャラーが提示する姿は、CMに
顕著に表れる。

http://www.youtube.com/watch?v=h4YmT07GoO0
▲Lancia THESIS

http://www.youtube.com/watch?v=Shjyz9FS4pQ&NR=1
▲トヨタ クラウン

ちなみに、クラウンのCMにはテージスのCMにそっくり
なものも存在する。
http://www.youtube.com/watch?v=HMWhA4hUVdk&feature=related

確かによく似ている。けれど、確かに少し違う。カーラ・
ブルーニ
が歌っているかどうか?確かに少しあるかも
しれない(笑)

このモヤモヤした感じは何だろう?

同じようなことは、エール・フランスANAでも感じる。

http://www.youtube.com/watch?v=VmNztYfInOA
▲AIR FRANCE

http://www.youtube.com/watch?v=bdNY9IUvGDk
▲ANA

両者のCMに共通する点を見出すことができる。日本企業
のCMは、商品が主体で人間は主体の効果を受ける客体と
して登場する。

これに対して、ヨーロッパ企業のCMでは人間が主体であ
り商品は客体として登場する。

なぜ、同じ企業活動で、こうも表現の方向が逆さまになる
のだろうか?

これは、勝手な推論なのだが、ヨーロッパの人々のなかには
今もルネサンス(人間中心主義)の伝統が血となって生きて
いるからではないか。

対して、日本は自然(社会)は支配するものではなく、畏敬
崇拝するものだった伝統が血となって生きているからでは
ないか。

もしそうだとするなら、いま社会で起きている機能不全に
対する諸問題というのは、私たちの環境に対する意識を改
め造り直さなければ、新しい豊かさを創ることにならない
のではないか、という漠然としたスケールの大きな疑問に
通ずる。

話を元に戻そう。

しかるにランチアは、私にとって何なのか?

おそらくは、笹目氏の評論のように社会に背を向ける方向
の極めてパーソナルなクルマなのだと思う。クラウンより
も、より人間に近いと言い換えても良いかもしれない。

メルセデスを放り出し、テージス(と場合によっては
スマートでも?)を保有するのは、新しい形のプレゼンテー
ションになりうる。

しかし、それはこの国内で乗る限り、どこに行っても理解を
得ることはさらに困難になるだろう。なぜならば、衆人が参
加している社会(市場)に背を向けるからだ。

マス・マーケティングの導入とともに、ランボルギーニ
失ったものはそれだ。ドイツ人がコントロールするサンタ・
アガータは、衆人の認知を獲得したからこそ孤高の(幻の)
存在感を失った。

テージスを所有し、そのうえで経営やファイナンスやマー
ケティングなど語っても、誰も信用どころか認知すら
しないだろう。

問題は、いまの私にそれを購入する資格があるかどうかだ。

いっそ転職して倒産確実のクルマ屋にでもなろうか?

つまるところ、これは毎日ブルートレインに乗って旅を
続けるようなそういう誘惑なのだ。

たかがクルマ。されどクルマ。

テージスの提示する問題は、私と社会との接点に存在する。

感謝!